2005.8月下旬の日記

2005.8.19(金)

先日、実父の容態の急変と書いて以来、病院につめておりました。
一度は持ち直したのですが、結局つめ始めて3日目の早朝、18日早朝4時過ぎに父は眠るように逝きました。

昨日の18日にお通夜、そして今日19日無事に告別式まですませました。

16日から今日までの4日間、あれよあれよと言う間に時が過ぎて行きました。
16、17日と旦那と子供も一緒に半日ずつ母や姉と交代しながら、父のそばで時を過ごし、17日には酸素量の数値も上がり、主治医からも「これなら持ち直してくださったかも」と良い方向のお言葉ももらったのに・・・

その晩遅く日付の変わった頃に再び数値が下がったことを病院から連絡を受けた母からの電話で旦那と次男と母を連れ病院に駆けつけ、姉夫婦も駆けつけた後、話し合いで私と旦那とで夜も付くことになりました。

夜中3時半頃おむつ替えに看護師さんたちが訪れ、替えてくださった後、ものの数分後心拍数が一気に下がり、そのまま息を引き取りました。
16日もおむつを替えてもらった直後、酸素量等の数値も一気に下がったため酸素濃度も全開にしてやっと諸々の数値も上がり落ち着いたと言う一件があり、少々替えてもらっている間、イヤな予感を感じていたところ、その予感は不幸にも当たってしまいました。

心拍数が下がり、これはいよいよその時が来たようだと判断し、旦那は母を迎えに戻ったのですが、間に合いませんでした。
最後の時は、私のみ病室に付き添い、当直の医師の「4時○○分、確認致しました」の言葉を聞きました。
最後に医師と看護師からの「人工呼吸器のスイッチを切らせてもらっていいですか?」の問いかけに「はい」と答えるのも涙で声にならず・・・
母と旦那が到着するのを泣きながら待つのみでした・・・

”ああ、あの時間におむつ替えをしなければ、もう一日ぐらいもったのかも”などと考えるイヤな自分がいたりします。
それが一つのきっかけになったのだと思ってしまう。
看護師さんたちに何の責任もないのです。
ただ自分たちの仕事をしただけなのですから責められない、責めてはいけないのはわかっているのです。
でも・・・・

・・・ごめんなさい・・・
まだまだ混乱しています。
気持ちが舞い上がっています。
正常な思考になっていないです。

人一倍甘えん坊で育ったと自分自身で理解しています。
それだけに実父の死は辛い・・・
自分の親が死んでしまうなどと想像したこともない、死んでしまうはずがないと思っていたのに、そのことが現実になったことが理解できていません。
今でも病院で寝ていると思ってしまう。
日曜日毎に顔を見に行っていたので、告別式後の後始末に日曜日に実家に行かないといけないのですが、間違えて病院に行ってしまいそうです。

ごめんなさい・・・・
この日記を書きながらも、涙が止まらない・・・
気持ちが落ち着き、正常な思考になり、冷静に物事を見ることができるようになってから、日記そして絵日記を再開したいと思います。

その時まで、しばしのお休みです。
では・・・


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