2005.1月の日記

2005.1.30(日)

お久しぶりです。
実に半月ぶりの日記ですね〜。
前回の日記で書いてました父の容態ですが、あのあとすぐに人工呼吸器を装着するまでに至ったのですが、無事に落ち着き、人工呼吸器を外す訓練をはじめるまでになりました。

で、そろそろサボりながらでもゆったりまったりと日記を復活させようと思えるようになりました。
前回の日記から29日までのいきさつは”書き留めておきたいこと......”にて公開しますね。
(日記をお休みしている間で、状況が落ち着き始めた頃から、徐々に自分の記録として入力していました。)


この間からの父の病院へ通ったり、バイトが終了してから家に帰る時には必ず帰る電話をしている私。
しかし、電話をかけると必ずと言っていいほど兄弟喧嘩を始める子供たち。

「お兄ちゃんがぁ〜」「いや、○○(次男)がぁ〜〜」

これが始まると2〜3分、最悪数分間は続く。
私は当然携帯電話でかけているため、電話代がかかってるわけだし、私の用件は「今から帰る」「何食べたい?」だけなのだ。
そのケンカしている間に済んでしまえる用事ばかり。
ケンカしてくれるとそれだけ余分に時間がかかるのだ。

私は始まると電話を一旦切ってしまう。
で、再度かけ直したりすることもある。
しかし、やはり始まるのだ。
この間等は数回これを繰り返し、合計10数分は電話をしている状態。
このところずっと無料通話分でおさまっていたのに、今月は完全に超過している。
(これは無理もない、この一件だけでなくて、携帯を使う場面が多かった)

長男が高校に無事に入学してくれれば、長男への携帯メールで済まそうかと、ふと今考えていたが、よくよく考えるとそのころになると長男の方が遅くなるのだが、この手は使えないのだわ、ふぅ・・・

兄弟はケンカするものなのだろうけど、電話中にケンカするのだけはやめてほしいと願う今日この頃・・・


2005.1.12(水)

わざわざお運び頂きありがとうございます。
しかし、入院中の父の容態悪化のため、今日の日記よりしばらく日記をお休みいたします。
また、再開の時にはまたお越し下さい。


母が足を痛め歩きづらくなっているので、昨日も母の様子だけ見に実家に行って来ました。
そして、今日はその母を父の病院に車で連れて行ってあげる約束になっており、バイト先に休みの登録をして、お昼を食べてから家を出ようとレジをしている最中に携帯に見なれぬ番号からの着信。
誰だろうと言いながら出てみると父に入院先の病院の主治医からの電話。

「今朝10時ぐらいから意識が混濁を始め、一時意識不明にまでなりました。今は意識は戻っていますが、非常に興奮している状態です。そして、あまりなので人工呼吸器をつけようと思うのですが・・・」

実家の母に連絡しようとしたらしいのですが、母は見なれぬ番号の場合は出ないようにしているため、出なかったらしい。

急遽、家に帰ってすぐに車で出発。
途中渋滞に引っかかったりして、母を連れて11時過ぎには病院に到着。
ICU に着くなり、主治医からの説明。

「酸素量は酸素マスクをつけているため十分なのですが、うまく吐き出すことができないため、炭酸ガス(二酸化炭素)が非常にたまっている状態です。そのために意識混濁が起こりました。その時はかなり強い力でしたが、盛んに身体を叩いてみたりして、意識を戻す努力を致しました。現在は意識も戻っており、少々状態は落ち着いたのですが、センモウ(?)が出ており、非常に興奮しています。(要は幻覚症状が出ているとの事)」

中に入って行ったら、少々落ち着いた様子で父はこちらを見ていました。
車いすで母を連れて行ったためか、ちょっと驚いた様子でしたが・・・
しばらく様子を見ていると、周りをウロウロしている看護婦さんが気になってしょうがない様子。
それも隣のベットの患者さんは、事故で入院して絶対安静の方。
その方のレントゲンを撮るためにウロウロしているだけで気になってじっと寝てればいいのに、頭を起こして見ようとするし、挙げ句に「隣な、警察が人質を取って立てこもっとんねん」などと言い出す始末・・・

そのうちに母がトイレに行きたくなり、席を外している時に「身体を上に上げてほしい」と言うので、あげようとしたのですが、私自身も右ひじを痛めており、私の力ではできないので、看護婦さんを呼んだのですが、「あんたらはあかん。誰か男の人はおらんのか!おぉい!おぉい!男の人はおらんのかぁ( ̄  ̄メ)」そして私の顔を少し見たせいもあってか「おぉい!○○(旦那の名前)、おらんのかぁ!!○○!!」と再三大声で叫ぶ。
そのうち看護婦さんも3人になり、落ち着かせてあげようとしてくれるのですが、ますます暴れる父。
いきなり私の旦那の名前を出されても看護婦さんは「○○って誰ですか?」と聞かれる(当然)
「私の主人の名前です」「○○は仕事に行ってるよ。」と言っても「○○!!」と叫ぶ。
そこへ母が戻って来て、「何暴れてるの。みんなアナタのために親身になってやってくれてるのに。そんな事を言ってはダメ!素直に言うことを聞きなさい。」などなど、なだめたらおとなしくなった。
やっぱり母でないと父は言うことを聞かないと、実感してしまった。

落ち着いているけど、私の姿を見ると「また点滴を抜こうとしとる」と遠ざけようとする。
母は「何言ってるの。空やないの。おとなしくしなさい」と言ってくれて、落ち着いた。
あまりの幻覚症状の強さに、お昼に出て来た時に姉に電話してしまった。
「今はしょうがないよ。しばらくはそんな調子やろう。大変やけど、今日はそのまま母に付き添っておってあげて。そしていい加減の時間に確実に連れて帰ってあげてちょうだいね。お願いね」との返事。

今まで心配性でいろいろ心配してくれた父。
それでも現実をはっきり見ていろいろ話をしてくれた。
わがままではあったけど、しっかりと話をする父だったのに、そんな父のこんな姿を見て少々ショックを受けたのでした。

夕方、そろそろ母を連れ帰ろうと思ったら、「主治医から今後の方針の話がありますから、何時頃まででしたらいいですか?」と聞いて来た。
あまり遅くてもと6時までにと言ったのに、実際に話が始まったのは6時半。
話は、やはり人工呼吸器の話。
家族の意見を聞きたいとのこと。
母は前にも言っていたのを繰り返して「人工呼吸器をつけてまでの延命治療はしないでほしい。本人も以前からイヤだと言っているので。それに身体にメスを入れるようなこともイヤだと言っている」と。
しかし、母は半分泣きながらなので、少々興奮しているので、主治医は私の方ばかり見て話をする。
「娘さんはどう思っているの?」と聞かれたけど、母の気持ちも考えて黙っていたら、「この子は、それであの人が元気になるのならつけてでも、元気にしてほしいと言っている。姉の方は私とほぼ同じ意見です」と話をした。
確かに私の意見はほぼあってるよ。

”これで回復する、治って外せるようになると言うのなら、人工呼吸器の力を借りたい。
でも、単に延命治療のためでしかないのならイヤ。”

実家に帰ってから、その話をした。
「あんたは前からそうだったよね。気持ちがやさしい。お姉ちゃんはある意味少しさめたところがあるけど、一歩引いた考え方でもある。でもね、あんたの気持ちもよくわかる。治って欲しいって願望が強いんだよね。私もあの人に死んでほしくない。でも、これ以上苦しませたくないのも事実だから。」と母。
「私も苦しませたくないよ。でも、治る確率はゼロじゃないって言ってるからこそ、こう思うのだから」とは私。

この話は明日また病院で母と私、姉と伯母(父の姉)の4人と先生を交えて意見の確認をすることになっているし、これ以上話をすると母を興奮させるだけなので、そこまでにして、夕食を用意して食べて帰りました。

いったいどうなることやら。
持ち直してくれるといいのになぁ。


2005.1.9(日)

今年のお年玉でポータブルMDを買った長男。
せっせとT○T○Y○でCDを借りては、MDにダビングして聞いてます。

もううれしくて、一緒にいてもイヤホンで聞いているし、自室に勉強しに行かせたはずが、MDを聞いていて勉強しない。
その上、食事等で呼んでも当然イヤホンをしているので、聞こえない。
すぐ側にいても(例えば車の中)結構な音量で聞いているらしく、まったくこちらの呼び声が聞こえず、返事をしない。

再三、みんなで一緒にいる時や起きている間は聞くのを控えるように注意しても聞く耳持たず・・・
気持ちはわかるけど、呼ばれても返事ができないのはちょっといけないことだと理解してほしいんだけどなぁ。

・・・で、肝心な受験勉強は、MDを聞くことを優先して全然やってないよ・・・


父の入院のその後。

この間は当初の症状が少しは緩和したかのように見えていたのだけど、結局あまり食べようとしないので、逆戻り・・・
せっかく酸素量(ボンベの)も”2”まで下げられたのに、またもや”5”まであがってるし・・・
本人に生きたい、生きようと言う意欲が見えない。
今現在入っているところは、国立の総合病院の外科病棟のICU(結局・・・)、つまり手術後の人が入っている部屋。
他の患者さんはどんどん元気になって一般病棟に移るのだけど、父だけずっとそのままか、もしかしたら悪化して症状が改善しない。

それに父はなんと言ってもわがままな人。
看護士さんたちから見るとあまり好きになれない患者だと思う。
たまに父本人も「オレのことを嫌ってるのわかってるんだぞ」(これは前の外科専門病院での言葉)と言うことがある。
それがわかっているのなら、グダグダ言わなきゃいいのにと思うのだけどね。

姉も母の代わりに父の見舞いに行って実家に戻って母に漏らした言葉が「最近、行っても結局あれこれうるさくて気分が悪くなる。そのうち誰も寄り付かなくなるよ。私も行かなきゃよかったと思うことがこのところちょくちょくだもの。」と言う。(母の談)
母ですら、腹を立てて帰ることが多くなったと言うぐらいだから、なおのこと。


その母、この間父の見舞いに行った帰りに足をひねった感じがしたけど、そのまま帰って夕方別なところに用事に姉と行った後、夜になるごとにじんじんと痛くて歩けなくなったと言う。
翌日休みなのを承知の上で近所のかかりつけに往診をダメ元で頼んでみたけど、夕方になるし、その時間になると調剤薬局が閉まっているので、薬が出るのが3連休明けになってしまうから、外科専門病院に行った方がいいと言われ、姉に相談して連れて行ってもらったそうだ。

診断は、年末にしたヘルペスの後遺症で神経痛を起こしたのだそうだ。
痛み止めを飲みながらだましだましでじっとしているしかないと言う。
神経痛だと暖めるのが一番、母は用のない時はずっとこたつに入って暖めているそうだ。
買い物や父の洗濯物を取りに行くのを姉がやって今日は帰ったと電話で言っていた。

で、明日私がバイト終了後、旦那に迎えに来てもらって、母のところと父の病院の往復をして来る予定です。
当分は私が父の洗濯物を持って帰って洗濯して持って行くことになりそうです。

父の転院の話は、あくまでも今の病院側は進めようとしているので、そのために手続き等で母も動かないといけない日が出て来るようで、私もなんとか手伝えるようにしなきゃね。
(しかし、バイト代わってもらえそうなスキがにない・・・)


2005.1.6(木)


そして長男はポータブルMD

久々の絵日記です。(日記自体も久々だね)

このお正月休みの間、みなさんはどう過ごされましたか?
星野は年末31日から4日までお休みでした。
31日は、両方の実家へ顔を出し、旦那の実家からはおせちを、自分の実家からはお雑煮(餅なし、豆腐なしで)をもらった上旦那の実家では年越しそばまで食べさせてもらって帰ったのでした。(鬼嫁?)

元旦は元旦で両方の実家にまた顔を出し、チビたちはお年玉をもらいまくってましたよ。
元旦の内にと大阪天満宮に初もうでへ行き、長男の合格祈願をしてきました。

そして、2日には私は大阪駅前のデパートに福袋を買いに、長男はお年玉で買うと決めていたポータブルMDをヨ○バシカ○ラで購入。
次男は買い物をしていた長男を見て、自分もお年玉でアドバンスソフトを1つ買うんだとダダをこねて買い、それにつきあっていた私はその日一日中並び続けていたのでした。(福袋を買うのにもものすごく並んだの(泣))

3日、午前中は思いっきり朝寝坊をし、長男の受験勉強を一区切りするのをまち、旦那は夕方から同窓会へ。
それについて私と子供たちも家を出て、ダ○エーへ。
ほんの少しの間だけ旦那も一緒にいろいろ見てから別れた後、長男のMDを入れるためのカゴや本(長男の問題集と辞書など)を購入。
近くの食べ放題のお寿司屋さん(名目は)へ夕食に行ったのでした。
これを書いてて、リンクを貼ろうと思ったら、公式サイトがなかったよぉ。
お店の名前は”北新地まぐろ亭 グレートハリー○○店”(あえて支店名を伏せます。だって家がわかっちゃうかもしれないもん)。
もともと北新地に総本店(ここも何回か行った)があったのだけど、役目を終えたのか一旦つぶれたのかわからないけど、北新地にはもうお店がない。
おいしいお寿司って訳では決してないけど、食べ盛りの男の子2人を連れては食べ放題のこの店に行かないとお財布が大変なことになっちゃうので。
しかし、公式サイトがないと言うのは驚きだわ。

4日は次男の誕生日会を旦那の実家でしてもらう。(実際の誕生日は5日)
実家に行く前に2日に買った長男のポータブルMDの初期不良が発覚。
交換してもらいにヨ○バシカ○ラへ。
そのついでに私が前々から欲しかったMD/CDラジカセを買ってしまった。
そしていよいよ旦那の実家でお誕生日会。
次男は去年11月に発売日がわかった任天堂の”nintendo DS”が欲しくてしかたがなかったので、お誕生日プレゼントと言う形でもらった1万円(旦那の実家からの誕生日プレゼントはいつも現金)に自分のお年玉を加えて念願の本体とソフト1つ”ポケモンダッシュ”を購入しにビ○クカ○ラへ。
もう目当てのものを買ったら、用はないとさっさと実家に引き上げ、夕食を外食することになった。(当然とばかりに義母に払ってもらったわ、やっぱり私って鬼嫁かな?)
中華料理に行ったのだけど、みんなお腹がいっぱいになってもう出ようかと言っているのに、長男はラーメンと餃子を追加注文。
それがまたなかなか来ない。
やっと来ても食べるのが遅い長男、長男以外の5人はずっと待ちぼうけだったわ。

なんかこうして書いていると、お正月休みはほとんど物欲に走った休みだったような・・・


あ、入院中の父の様子ですが、相変わらず自分から元気になろうと言う気がなく、あまり動かない。
やっとリハビリもかねて車いすに座らせてもらって、お散歩させてもらっているようですが、それが父にとっていらぬお節介らしく顔をしかめっ面にしています。
しかし、周囲のものは少しでも元気になって自分でトイレまで行けるようになってほしいのだけど・・・
相変わらずオムツはしているけど、大はオムツで(汚い話でごめんなさい)小はオムツにするのはイヤで取ってもらっているのです。
それならトイレに行けるようにがんばればいいのにと思うのですが・・・
一応今入っている国立の総合病院からいい加減に出なくてはいけないらしく(転院の原因となった症状は緩和したため)、その前に入っていた外科専門病院に転院できるかの手続きを進めているようです。
さてはて、いつまで入院していることになることやら。
そう言えば家の子供たち、お見舞いに連れて行けないところだったので、去年の12月の始めに会ったきり父と会っていないわ。
早く顔を見せられるようになってほしいな。


2005.1.1(土)


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