2004.12月の日記

2004.12.29(水)

今日は”今年もありがとう”の日記で終わろうと思っていたのに、日記ネタ、それもバイトネタが出来てしまった。

今日のバイトも大忙し。
そんな中、4000円あまり買ったわりと若めのお母さんと息子さんとのお客さま、1万円札と少々の小銭で払われた後、レジも終わり次に並んでいる方々のレジで忙しくなった頃「小銭の方のおつりをもらっていないのだけど」と言う。(確かにおつりには札以外に600円のおつりがあった)
私は渡した記憶もあるし、小銭のおつりを忘れていると釣り銭が出てくるところに残っているはず。
残っていれば、次の人のレジをした時点でいくら何でも私も気がつきます。
次の人のレジの時には残っていなかったので、渡しているはずなのです。
で、「私はちゃんとお渡した記憶があります。申し訳ないですが、もう一度確認してもらえないでしょうか」とお願いしても財布を開けようともしないで「いや、もらっていない」と言い張る。
今までもそう言われたことは何回かあり、ゼロではないですが、その時のお客さま方はちゃんと目の前で財布を開けて確認してくれている。(これが普通の行動はないのかな)
このお客さまだけは確認しようともしてくれない。
レジ点検もしたいのだけど、あまりに混んでいてできない。(もしかしてそれを狙った?)
で、渡さざるを得なくなり渡したら、後で確認するとやはり渡している。

500円玉があるので、財布を開けると絶対にわかるし、その時のそのお客様はお財布に小銭も入れているのも後からずっと記憶をさかのぼると覚えている。
もうこうなるとそのお客様のことを疑わずにはいられない。
お財布をもう一度確認してもらえないかと言うお願いに対しても確認しようともしないのも疑問に思ってしまう。
その場でレジ点検もしたかったが、レジが混んでいてそれもできない。(そんな状況を作ろうとしていたのではないかとも思える。)
よくあるのだ、釣り銭詐欺もどきは。
前のバイト先でもそれらしいものは多々あったから。
しかし、子供もいる前でするかと思ったら、あまりするとも思えないけど、しかし、財布を確認しようともしないのもおかしいと思ってもおかしくはないはず。(よね・・・)
今のバイトで何が嫌いかと言うと、レジ誤差が出るのがやっぱ嫌いなのだ。
だからおつりもちゃんと渡そうとするし、たまにつかみ損ねた硬貨が1枚残っていたら、さっさと謝って渡しに行くぐらいなのにぃ。

一応、店長には報告した。
当然レジ誤差が出るんだもん。
店長は「まあ、しょうがないよ、オレも○○くん(社員)もいない時間だったし。混んでいた時間だったのでしょう。そのままマイナスであげておいて。」とのことだった。
自分の財布から補填するつもりでもあったけど、そのことはかまわないと言う返答、やれやれ・・・
次の学生バイトの子にもちゃんとそのことは話をして、定時でその日のバイトは終了。

しかし、腹が立つし、くやしいぃ〜〜〜
まんまとしてやられたって感じだわ!


2004.12.27(月)

昨日から頭が少し痛いなぁと思っていたら、今朝起きてみると喉がイガイガ・・・
年末でもうすぐかかりつけも休みに入るので、すぐさま行って来ました。
本当は接骨院の方に行こうと思っていたんだけどね。

結果はたいしたこともなく、風邪の引き始めのみ。
一応5日分の薬を出してもらった。
そう言えば久々の院長先生だったわ。(院長先生がケガをしてずっと息子さん先生が診察してた)

今日1日はバイトも休みなので、ゆっくり昼寝させてもらった。
その間、ずっと次男はゲームをしていたらしい。
長男はちゃんと昼から塾の冬期講習に行き、夕食は長男が作ってくれた(麺とスープのついたラーメンだったけど)

2人がお風呂に入り、しばらくしたら旦那が帰って来た。

その時、旦那の様子が変。

  「大変なことが起こってん・・・」

何かなぁと思ったら、今日は社用車である現場に行く予定だったはず。
聞くと、その現場に行く途中で交通事故にあったと言う。
それは旦那が乗っていた社用車が横転する単独事故。
旦那の会社の部下の方が運転して、旦那が助手席、もう一人旦那の会社の方が後部座席に座っていたそう。
ある高速道路を走っていて、ちょっと脇見した時にハンドル操作を誤り、路側の土手に突っ込み横転したんだそうだ。
ガードーレールのあるところ寸前で突っ込んで横転したため、衝突の強いショックがあまりなく、旦那も運転していた方も後部座席の方も全員かすり傷で自力で脱出できたそうだ。
旦那の話では、その時に来た救急隊員も交通機動隊の方も「よくかすり傷で済みましたね〜〜、普通ならもっと大ケガか最悪死んでましたよ。これぞ本当に運が良かった。不幸中の幸いってヤツですよ(^-^;」と感心されたそうです。

行くはずだった現場には行けなくなったと連絡して、昼過ぎに本社に戻って近くの病院に行ってレントゲンを撮ってもらったと言うが、その病院は”形成外科”のため、明日にもちゃんと整形外科に見てもらわなくてはいけないよと話をしたら、明日は早く帰って家の近くの病院に行ってくると言うので、やれやれとしました。

旦那にも正直な気持ちを話をしたけど、ケガがたいしたことがないと言うことも安心したけど、運転していた方には悪いのだけど、旦那が運転して起こした事故じゃないと言うことで、少しホッとしている私です。
明日はまだ会社の保険関係の手続きもあるみたいだし、今日行く予定だった現場にも年内に行かないといけないので、1日休日返上で出勤になったんだって。
会社の方も自分ところの会社の者だけしか乗っていなかったし、単独事故で他に被害のあった人もいないので内々で済ますようです。

旦那のショックは結構強く、その横転する瞬間の様子を生々しくリアルに話をしてくれるので、こちらがゾッとしたわ。
いつもの声でもないので、ゆっくりと寝てもらわなくっちゃね。


2004.12.26(日)

今年いっぱいは絵日記はなしです。(来年から再開予定)

クリスマスがすみましたね〜〜。
みなさんはどんなクリスマスだったのかしら。
ちょっと星野家のクリスマスを紹介。(あまりにもありきたりでつまらないかも)

24日は、バイトを休みをもらってました。
子供たちをクリスマスイルミネーションを見に連れて行こうと言う計画だったのだけど、よくよく考えてみると長男は受験のため冬期講習中で行けないのをその日の朝に気がついたのだ。(アホな星野)
仕方がなく次男だけ連れて行こうかとも思ったのだけど、本人が行かないと言い出したので、中止。

午前中にバイト先で予約しておいたケーキとジュースを買いに行くことに。
そのまま夕食用のローストチキンとサラダのための野菜を買って帰ったよ。

長男は昼から塾へ。
次男はずっとゲーム(ドラクエ8をクリアしようと必死)
私はと言うと結局お昼寝。(なんと気楽な主婦)
しかし、本当に久しぶりのお昼寝だったわ。

夜8時過ぎに長男が帰って来るのを待って夕食。
お風呂に各自入って、ケーキを切ってお祝いしようとした時にはすでに12時前(汗)
ローソクがついていたので、「着ける?」と聞いたら、2人とも「着ける♪」と即答( ̄~ ̄;)
その上、生クリームとチョコクリームの2種類のケーキの入ったペアケーキだったので、「オレ生クリームの方な、○○(次男)はチョコな」と中3の長男が振り分ける。
ローソクを消すと言うのを2回した後、「一番大きいのをおとうさんに置いておいてあげて」と言うと、それぞれ選び、翌日帰ってくる旦那用に分けておいていたよ。

はてさてケーキを食べた後、いよいよそれぞれお布団へ。
既に午前1時半( ̄▽ ̄;)
興奮してなのか「○○(次男)、サンタさんを見ような」などと話をしているし、そう言えばケーキを食べている時も「おとうさんがサンタなのかと思って、さっき片づけの時に屋根裏に昇った時に絶対ココにプレゼントとサンタの衣装を隠してると思って探したけど、見つからなかった」と長男は言っていた。(長男は中3)
しかし、中3にもなってもまだ信じているのかしら、長男は。
そんなこんなでサンタ出動はなかなか・・・
私が子供たちが寝たのを確認してから置きに行かないといけないため、眠いのなんのって・・・( ̄□ヾ)ゴシゴシ

そして午前2時半、無事サンタ出動。
私も寝ることが出来ましたよ。
しかし、翌朝は朝から接骨院に行って来ようと思っていたのに、眠くて行けなかったわ。


その25日はバイト。
ずっと家で寝ていたかったけど、寝てるわけにもいかない。
それに忙しかったこと・・・
しょっちゅうレジが混むし、床にビールが漏れてて濡れたと言われて、床拭きもすることになるし。
夜6時までだったのだけど、あまりの混みように2度締めようとして挑戦するもあまりの混み方に再び開けてとして3回目はこれ以上開けていても切りがないと言うことで、お客さんの方を見ないことにしてレジを強引に締めた。
そして、タイムカードを押した時間は6時20分過ぎ、いっそのこと30分までいたら30分だけでもついたかなとも思うけど、もともと6時までのシフトだから、認められない可能性も大なので、そのまま通したよ。


そして今日26日。

今日は旦那と子供たちは旦那の実家の墓参り兼大掃除の手伝いに行くので、久々に実家の父のお見舞いに行って来た。
朝旦那が出る時に一緒に実家まで乗せて行ってもらい、お昼を食べてゆっくりしてから病院へ。

この2〜3日前に病室をまた移動していた。
今度は救命センターより完全に出て、外科病棟のICUみたいなところに移っていた。

今日の父は、すごく穏やか。
前回の時は、着くやいなや「何時頃来れるか言っとけ!」と怒っていたのに、今日は「来てくれたんか」とだけ。
なんか食べたいものがあるかと聞くと「桃の缶のネクターが飲みたい」と言い出す。
その時に「アイスかプリンも買って来ようか」聞くと、「じゃあネクターはやめてアイスクリームがいい」と言った。
今までは食べたいものなんて言わなかったのに、言い出したなぁと感心。
ついでにテレビカードを買って来てと言うので、調子の悪いリモコンを看護士さんに見てもらうようにお願いして売店へ。
買って帰ると、体勢を変えてもらっていた。

アイスを買って戻ってから、父の姿をまじまじと見た。
腕には点滴の針が入っているのは変わらず、唯一変わったのは酸素吸入が鼻からではなくマスクになっていたことと、鼻から栄養ドリンクを入れるためのチューブを入れられていたこと。
これは父がそのドリンクを飲むことを嫌がってあまりに飲まないから。
このチューブも母が父に「気持ち悪いかもしれないけど、絶対に自分で抜こうとしたらダメ!抜いてもまた入れることになるんだから、しんどい思いを繰り返すだけだからね!」ときつく言い渡したからなのか、いじりもしないでおとなしくしていた。

アイスもやはり3〜4口でいらないと言い出したけど、「あと1〜2口は食べて」と半ば無理に口に入れて来た。
体力をつけるには、今は食べられるものなら何でもいいから食べることしかない。
アイスでもプリンでも本当に何でもいいのだ。
栄養バランスも考えないといけないけど、本当にあまり食べなくなった父にはバランスを考えるよりも食べたいって気持ちを持ってほしい。
父にも「何でもいいから少しでも食べてね。食べないと体力がつかないし、体力がなかったらリハビリもできないでしょう。おかゆ(3分がゆが3食出ているらしい)も、最初はたとえ1〜2口でもいいから食べて、徐々に量を増やしていけばいいんだからね。今は食べて体力つけて」と言った。
父も黙ってうなずいていたよ。

やっぱり父は寂しいらしい。
誰かにそばに居て欲しいって、初めて漏らしていた。
気持ちはものすごくわかる。
体調がすぐれない時って、誰かがそばにいるのがわかるととても安心できる。
私の場合は、たとえ子供でも居てくれると、心強いもの。
しかし、今の病院は完全介護、面会時間もきっちりと決まっていて、あまり例外はよほどでない限り認めてくれない。
面会時間だけが今の父にとって楽しみでしかないのだ。
でも、行く方にも予定があって、そうそう行けない。
私も次はきっと年明けしか行けないだろうな。

今日の父の様子を話をしていたら、母は「きっと昨日か一昨日辺りに私が怒ったからだわ。この間もお姉ちゃんが行ってくれた時に、お姉ちゃんは遠いからそのまま家に帰るつもりだったのに、洗濯物をココ(実家)に持って帰っておいてくれと無理に持って帰らせたから、お姉ちゃんも怒ってたからね。だから『来てくれる人にも予定があるのよ。そんなわがままばかり言っていたら、誰も寄り付いてくれなくなるよ!』ときつく叱ったのよ。それでたぶんおとなしかったんでしょう。しかし、私の時にはいろいろグチグチと言って、ゆっくり座らせてくれないのよ」と言っていた。

それでなのか、今日の父がおとなしかったのは。
それに洗濯物に関しても「今日はどうするんだ?このまま自分の家に帰るのか、実家に戻るのか?」と聞いていた理由もこれでわかった。
父も少しでも来てほしいから、おとなしくなったのね。

しかし、翌日の話をしたら、少しふくれた。
まあ、明日、母が行けるかどうかわからないと言う話をしたからなんだけど。
「何回か連絡が入ってたからね、出かける予定が入るかもしれなさそうだったよ」と言うと渋々納得していた。
たぶん母はちゃんと行くだろう。
しかし、年末と言うこともあって、1日置きとかにするつもりらしい。
そうしないと今度は母が倒れる可能性もあるもの。
私や姉の姉妹がもっと行けたらいいんだけど、お互いに仕事をしているもの(私はバイトだけどね)
ちょっと無理があるもの。


2004.12.23(木)

今日も絵日記はなし。

少々疲れ気味の星野です。
父も容態も今は落ち着いており、ICUの中ではあるけど、一般病棟なみの部屋に移動しました。
そうなると1日30分の制限時間もなくなり、面会時間内であればどれだけいてもいいとなってしまいました。
そうなると、とたんにわがままになる父。
あれやれこれやれとうるさいようです。

私自身はバイト等で公私ともに忙しく土日ぐらいにしか行けない状態で、平日は母から様子を聞くだけなのです。

この日曜日も行って来ました。
そうしたら、昼前後から自分の家の用事で忙しくて4時過ぎになってしまったのですが、病室に入ったとたん、「お前も何時頃に行けるかはっきり言っておかなきゃいかんじゃないか!」とお怒りの様子。
自分の都合だけで言っているのはいつものことなので、軽く聞き流し、母から言われていることをまずはやることに。
まずは缶詰のももを1切れ持って行っていたので、それを食べてもらうことに。
小さく切って口に運ぶのですが、2〜3口でもういいと言い出す。
それをあと1口だけとなかば無理に食べてもらう。

だって最近とみに食べなくなった。
一応カロリーメイトのジュース版のような栄養ドリンクを日に何回か分けて飲むのですが、それもまずいからとか食べたくないからとか理由を付けてあまり飲まない。
あまりに飲まないので、先生も「そんなに飲まないのなら、チューブを挿入して、無理にでも飲んでもらいますよ!」すごんでみても、父も負けていないので、父曰く「主治医とけんかになった」とのこと。
母は翌日慌てて主治医に話を聞きに行ったのだそうだけど、それ先生の演技だと先生は言うそうだ。
(半分本音だろうな。)
食べないと体力がつかない。
体力がつかないとなると回復が遅くなる
遅くなるだけならまだしも最悪回復しなくなる
父本人に生きようと言う気力があまり見えないのが気になる。
どうやったら食べてもらえるのかしらね。


しかし、日記の放置状態は悪いね〜〜。
と言うよりもネット自体につなげる事自体も減ってます。
このところ1日1回つなげるようにはしているのですが、2日に1回のこともある。
忙しいのと他にやりたいこと、そして年賀状の図案を考えているのだ。
今年の干支の猿はすぐに考え付いた。
猿の身体に子供たちの顔写真をくっつけるだけなので、しかし、今度の干支は”酉”・・・
くっつけにくいよ・・・

なんとか考え付いて、後は印刷するのみになったけど、それが時間がかかる・・・
300枚買ったうちの250枚を今回の図案で印刷するの。

250枚の印刷・・・

考えただけでゾッとしてきそう・・・


2004.12.11(土)

久々の日記なのに、こんな日記・・・(そして絵日記なしです)


昨日(10日)のバイトが済んで、夕食がようやく出来上がった時に旦那からの帰るメール。
そのメールに次男が返信したりして、食べ始めた直後私の母より携帯にTel。

 「お父さん、今から転院するから」

・・・は?なんですと?
今からって夜9時を過ぎてますよ・・・(この辺りは別館に先に書いていた日記の書き出しだね)

その直後に旦那が帰宅。
すぐに事情を話をして、父が入院している外科専門病院に向かう寸前に病院名を教えるために母から電話。
しかし、いつ迎えが来るかわからないと言うことなので、先に外科専門病院に向かう。

途中で飲酒検問に止められたけど、旦那も飲んでいなかったので、セーフ。

病院に着いてみると「ああ、国立の総合病院に転院のための搬送の方は既にウチを出発されましたよ。ただ名前はわからないけど、年配の男性です」(それで十分です)と言う。
来る途中(またもや・・・)で救急車にすれ違ったのだけど、どうもその救急車に乗っていたらしい。

私たちもとって返して国立の総合病院へ移動。
そこの夜間受付でどこにいるか聞いて救急治療室へ行って、母と合流。

そこで初めてこの2〜3日前から肺炎を起こし初めていたことを知りました。
そう言えば水曜日だったか旦那の義母から「お義父さんの好きそうな物をお見舞いに持って行ったのだけど、とてもしんどそうでそのまま持って帰って来たよ」と連絡が入ってた。
(義母もその外科専門病院でリハビリを受けているので、そのついで)

もともと父は昔に結核をして肺の機能が普通の人よりも低いと言うことなので、肺炎を怖がってた。
場所を救命センターに移動して先生の説明を聞くことに。
レントゲンを診てみても両方の肺の半分は白っぽくなってるし、CTでも空気の入っている部分の肺って黒く写るのだけど、その部分の小さくなっていること・・・

しかし、説明してくれてる先生(主治医)の声の小さいと言うかハッキリしない発声の声。
説明が聞こえづらいよ。
それにレントゲン写真のど真ん前に立つから、見えないって。

結局、実際に父に面会できたのは、夜中も12時半も越えた頃。
あがって来るのを待ち、説明をしてもらうのを待ち、挙げ句に説明の最中にも他所の病院からの収容依頼の電話で中断させられ、説明後もロビーで待たされたのだ。

しかし、ICUには登録した人間しか面会ができないし、それも登録は3人だけと言うので、母、私、姉の3人を登録。
旦那と義兄は残念だけど、我慢してもらった。
入り方もなかなか面倒。(当然か)
入る時に「お父様はご家族がどこに入るのか心配してますよ」と言っているとのこと。

面会してみると、酸素マスクをして、心電図や心拍数を測る機械をつけられ、点滴をしてもらっている父。
肩で息をしていてすごく苦しそう。
でも、意識はハッキリしているから、あれこれ話をしてくれる。
しばらく話をした後に翌日の面会の予約を取って引き上げることに。
面会時間も予約して1日30分だけと決まっているのだそうだ。

面会が済んだ後、姉のところは母を家まで送り(翌日姉だけ泊まったことを知った)、私たちは家に帰ったよ。
翌朝は旦那も九州の田舎へ昼過ぎまでに行かないといけないので、早朝5時半起き。
家に帰った時はすでに午前1時半。
起きられるのかすごく心配だったので、目覚ましラジオの音量を最大にして寝たわ。
そうしたら、私も旦那もびっくりして飛び起きたわ(笑)

そして、今日朝から実家に行く前にバイト先へ。
今日、入っている人で明日休みの方に代わってもらえないかお願いしに行ったの。
この土日が山かなと思ったので。
転院して呼び出しが入るかも知れないので、自由に動けるようにしたいのでと話をしたら、代わってもらえたわ。(ホッ)

そして、実家についてから姉が泊まっていたことが判明。(姉は少し遠いので)
母は姉に病院に持って行く物の用意を頼み、私は母と外科専門病院の方に残りの荷物と退院の手続きに行って来ました。
荷物は看護士さんたちがまとめておいてくれたので、後は持つだけになってたので、楽だった。
手続きも済ませて戻って、総合病院に持って行く荷物をまとめあげた後、お昼ご飯は総合病院に行ってから食べようと向かったら、レストランは休み・・・
予約の時間は後一時間もあるよと話をしながら、ダラダラと食事。

長いね〜と言いながら予約の時間に救命センターへ。
面会申し込みをして中に入ってみると酸素マスクではなくて鼻から酸素が出るようにしてある。
息づかいが昨日と比べてぐっと楽になってる。
それに入った時に看護士さんとまだ血中の酸素量が安定しないうちから「病棟にいつ移動できるの?」などと聞いている( ̄~ ̄;)

私達が来たとなると、さっそく「おい、シャツとパンツ、パジャマを着替えさせてくれ」と言う(--;;;;;
点滴や血中の酸素量を測る機械の線もあるのに、それに自分少し息が楽になったからって、状態が安定したわけじゃないのに、着替えると言うのか、まったくもう。
私たちでは到底じゃないけど、着替えなんてできない。
看護士さんを呼んで事情を話をすると「え、上まで着替えるの?!Σ(◯o◎;)」と慌てて来てくれて、四苦八苦しながら着替えさせてくれた。
これからは前明きのシャツにパジャマを持って来てほしいと言われたよ。

一般病棟に移動するのは思ったよりも早くなりそう。
移動するのはいいのだけど、移動したら面会時間は決められた時間内であれば、1回の面会は30分等の制限がなくなるから、父のわがままも今よりも爆発しそうですミ(ノ;_ _)ノ=3


2004.12.4(土)

先月の18日に車の上に干していた傘を取ろうとして手を伸ばした瞬間から右ひじを曲げ伸ばしすると痛みが出てました。
19日の整形の夜診に行って、湿布薬ももらって貼っていたのですが、痛みがひくどころかひどくなって来たので、昨日近所の接骨院に行って来ました。

バイトのレジをしていて、商品が1つだけだと袋に入れてあげるのですが、それが牛乳とかお酒の重いものを入れようと右手で持って袋に入れると言う動作がとても痛い。
その動作をするための筋を痛めていたので無理もないのですが、その動作をしないで安静にするようにと言われても、仕事柄しないわけにはいかない。(包帯をしているわけでもないので、見た目はわからない)

接骨院に行っても、「そりゃ使ってると少しよくなったかと思ったら、また悪くなることをするから、ひどくなったり、治りが遅くなるよ。」と言われた・・・6(⌒〜⌒ι)

肩もよく凝ると言うことで(左側はもともと椎間板ヘルニアをもっているので、よく凝る)、肩と右ひじ、前日に左の足の甲も少し痛かったので、左足の甲の3ヶ所電気をあててもらうことに。
ただ、慣れていないので、ごくごくゆるくあててもらったわ。
その間肩には暖めるパットもあててあったので、あったかくて気持ち良くてうつらうつらしちゃった。

次は先生のマッサージ。
今回は少し弱くやってると言うことだったけど、これもとっても気持ち良かったぁ〜〜
次の回はもう少し強めなのかな。
ひじには動作を楽にするためのテーピングと塗り薬を塗って湿布を貼り、左足甲にも湿布。
後、首を暖め、肩をベルトマッサージャーみたいなので、肩をマッサージ。
それで終了。

しばらく集中して通う方がいいと言われたよ。
今日も行こうかと思ったけど、バイトに間に合わなかったらイヤなので、行くのをやめたのだ。
また月曜日にバイト終了後にでも行こうっと。


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