書き留めておきたいこと.......

1月13日

とうとう父の容態がますます悪化。

早朝7時頃病院側は電話したと言っていたが、母の電話も私の電話も姉の電話も鳴っていない。
その早朝にあまりに状態が悪くなり、相当危険な状態になったため、病院側の独断で口からの挿管しての人工呼吸器を入れられていた。

父本人も母も人工呼吸器を装着することに反対していたのだが、医者側としては危険な状態なのに手をこまないわけにはいかなかったらしい。

で、父本人は薬で眠らされているが、イヤなことをされると言うのは気配で察するのか、イヤがる仕草を見せる。
(母が目やにを取ってあげようと目の側に手を持って行ったり、看護師さんが痰を吸引しようとした時等)
この日は父の姉である伯母も病院に来てくれていた。

いろいろな処置の毎に外のロビーで待っているのだけど、その時にいろんな話を聞くことが出来た。
私や姉も知らないような昔話がいっぱい出て来ていたよ。(なれそめだとか初めて母が父の結核のことを知った時等)

その後旦那とも連絡が取れて、迎えに来てくれることになった。
迎えに来てもらってから、父の様子を見てもらい、伯母をまず最寄り駅まで送って行き、再度病院に戻って今度は母と姉を迎えに行く。

母と姉は実家に送って行った後は家に帰って、じっとしていた。
後日姉が母の薬をもらいに外科病院に行ったところ、旦那の義母とバッタリ会ってしまったそうだ。
なんか義母と母や姉がバッタリと会う確率、なんか高くない?


1月14日

この日は母が父の様子を見に行って来たところ、すでに手をくくり付けられていたそうだ。
聞くと自分で無意識でかもしれないけど、人工呼吸器の管を抜こうとする。
あげくに舌で押し出そうとするし、母が「イヤなの?」と聞くとうなづいたんだそうだ。

そこで医者から「このままだと危険だから、気管切開による人工呼吸器に切り替えた方がいいし、患者の負担を考えてもその方がいい」と言うので、私や姉と連絡を取ろうとしたらしいが、私はバイト中はロッカーに入れていて圏外になっていた。
姉も運転中で取らない。

で、母の独断で気管切開をしたそうだ。
その夜、母と連絡した時に初めてその話を聞いた。
翌日、私が行くことになっていたのだけど、母は気になるから自分で行くと言い出す。
やむなくそうすることに。
でも、その電話の母はとても辛そうだった。


1月15日

この日午前中に母から電話。

「私行くつもりだったんだけど、ちょっとしんどいから行って来てほしい」と言う。
声はものすごくつらそう。
それなのに姉には知らせるなと言う。

結局、バイト中に辛くなったようだ。
姉に連絡を取って来てもらったと言う。

そして近所のかかりつけの医者に往診して来てもらったところ、ストレスから胃に来たらしいと言うこと。
あまり辛そうだったそうで、その場で以前に父も入院したことのある別な総合病院に入院となってしまったようだ。

私はバイトが終わってから、実家に電話すると留守番電話。
あれっと携帯に電話かけると「○○病院に入院してる」と言う。

慌てて姉と連絡を取って、母の入院先に駆け付ける。
父の方には姉が行ってくれると言うので、姉に任せて、母の元へ。

やはりすごく辛そう。
しかし、月曜日に母の妹である叔母が来ることになっており、少々気になっている様子。
そこへは私から連絡を入れて、日曜日に母の病院に連れて行くことにした。

しかし、日曜日は忙しいかも。
実家にまず寄ってから父の病院に行き、叔母を迎えに行った後に母の元へ。
明日は父の方の伯母もいとこ夫婦を連れて父と母の両方の見舞いに行くと言っていたから、母に負担がかかってしまうかも・・・


1月16日

この日は昼前に実家に寄って、父の干しているパジャマを持って帰る。
その後、父のところに見舞いに行き、父の脱いだパジャマを取りに行くと、意識が戻ってる。
母ではないとわかった父は私の顔を見るなり「ママは?」と言う唇の動き。
姉との連絡で母の入院の話は一切しないで、「近所の方のお葬式のお手伝いに行っている」とだけ話をする。(実は実際にあった)

着替えの入れ替えをしたら、あまりすることがない私。
しかし、だからと言ってさっさと出て来ることもできないので、しばらく黙って傍についていることに。
そのうち父方の伯母が来ることになっているから、そこまで待っていようかと思ったけど、ロビーで待っている次男が「お腹空いた」と言い出し、出ることに。

お昼を食べても母方の叔母との待ち合わせ時間には時間がある。
で、100均ショップをのぞくことに。
そこで次男のお菓子を買い(母の方のお見舞いは少し長くなると思ったので)、叔母を迎えに行く。

叔母を連れて母のところに行くと、母はとても安心した顔をした。
やはり一番仲の良い自分の姉妹だからかもしれない。
私たち娘よりも母にとって一番相談しやすい相手かもしれないね。
その叔母も叔父さんのことで苦労したから、今の父と同じ状態も全て見て来ているから、母の気持ちが一番良くわかるのだ。
その叔母が来ている時に、父方の伯母といとこたちが来た。
入れ替わり立ち替わり母に挨拶する。
私は母が疲れないか心配だったけど、断るわけにもいかず、黙ってみていた。
いざとなれば叔母もいるのだし・・・

伯母といとこたちが帰った後、母と叔母はかなり長い間話をしていた。
私は談話室で次男とお話をして待っていた。(旦那は車で昼寝(怒))
話をするだけした叔母、「次にお義兄さん(父のこと)のところに連れて行ってくれる?」と言うので、もう一度父の病院へ。

叔母を連れて父のところに戻ると父は気持ちよさそうに寝ていた。
少々傍で話をしていても起きないし、叔母が父の足を触ったりしていたけど、いっこうに起きなかった。
(もしかしたら軽い麻酔をかけてあるので、そのせいもあるかも)
叔母曰く、父の状態はとてもいいそうだ。
まあ薬のせいとしても不整脈もないし、血中酸素量もいいと言う。
足が浮いているけど、まだまだ序の口で大丈夫の粋だと言うし、まずは一安心と言うところかな。


1月17日(そう言えば10年前の今日、阪神大震災の起こった日だね)

今日も父の病院にまずは行き、洗濯したものと脱いだものを入れ変える。
やはりこちらの言うこともよく分かっているし、自分の言いたいことも言う努力をしている。
しかし、声が出ないので、こちらに伝わらない・・・

ただ、「ラジオ」と「タオル」って言葉だけが口の形でわかった。
「ラジオ」を聴きたがると言うことは、父も退屈なようだ。
確かに寝てるしかないので、退屈なんだろうね。

着替えの入れ替えをしたら、今度は実家に行く。
母のかかりつけの医者にこの間往診してもらっていたので、その往診代を支払う。
そして、母からの頼まれ物を紙袋に詰め込み、自分も昼食を取り、母のところへ。

母も昨日よりもまた気分が良くなっているようだ。
しかし、母は逆に眠れないようだ。
母の入っている病室は6人部屋。
入口脇のベットなのだけど、隣のベットのおばあちゃんは歩行器で歩いてトイレに行くのだけど、その歩行器をがんがん母のベットにあててトイレに行くそうだ。
それも夜中に2〜3回、その都度起こされると言う。
そりゃ寝られないよ。
ストレスから倒れたのに、病院に来てまで寝られないのなら、何の治療にもなりゃしない。
さすがに母もキレて、斜め向かいのベットが退院されたので、そこに移動してもらった。

母にもラジオを持って行き(実家にはポータブルのラジオが2台ある)、着替えを入れ替え、母の病院からも出る。
このあとはそのまま家に帰るだけ。
その前に大手電気店でPS2用のコントローラーとラベル紙を買って帰る。


1月18日

この日は昨日に父の着替えをたっぷり持って帰っていて重いので、車で回ることに。

先に父のところへ。
行くとやはり母のことを聞いて来る。
「ママはちょっと体調を崩して検査してもらってる。行くと言ってたけど、私やお姉ちゃんが『まだダメだよ』と止めているの。日曜日に私のところから車出して連れて来るから、それまで待っててね」と話をするとすごくガックリした表情の父。
やはり、母のことが心配なんだね。

そして、身体を拭いてほしいと言うので、看護師さんにお願いすると、点滴の2つが終了しててエラーになってる。
それをせっせと交換していると、なにやら父はお下が気になる様子。
オムツを外してみると、なんと尿取りカテーテルの管の周りからおしっこがもれてる。
どうもカテーテルの管が細いらしく、その周りからもれているよう。
せっせと調べてようとしてくれるのだけど、どうもその看護師さんはまだ経験の浅い人らしく父にとって気に入らない人らしい。
で、大丈夫か確認するために「見せてくださいね」と看護師さんがお願いしても、イヤイヤと首を横に振る。
そのくせ主治医の先生が来て「見せてくださいね」と言うと、素直に見せる・・・(~_~;
あまりに露骨すぎるよ、パパ。

そんなこんなで気がつけば2時間、父の傍にいたことになる。
身体を拭いてと言うお願いは結局どこかに行ってしまった。
シーツを交換してくれると言う話だったのだけど(さっきのもれてたおしっこで濡れたから)、それもなかなかなので、あとを看護師さんにお願いして父の病院をあとにする。

そして母の病院へ、初めて自分で運転して行く。(今までタクシーか旦那に乗せてもらってでしか行ったことがない)
お正月に買った福袋のキャスター付バックを退院の時に使えるだろうと持って行くけど、結局翌日の午前中にバリウムを飲んで、お昼ご飯をもらってから退院することに決めたため、紙袋1つ〜1つ半ぐらいを残して、実家に持って帰ることにした。
バリウムの結果を聞いてから、退院することにしていたのに、聞かずに退院するとはどうしてかと思ったら、やはり原因は同室の方々。
母以外はみんなおばあちゃん。(そりゃあ母だって70才のおばあちゃんだけど)
なかなか家に帰られないのか、「帰りたい」だとか「点滴したら殺すぞ」とか叫んだりで、ものすごい人生模様・・・
かえって気が滅入って来るのだそうだ。

前日に木曜日辺りに退院できそうと連絡したので、姉は木曜日に来る予定していたので、母から連絡。
明日のお昼過ぎに迎えに来てくれる手はずになった。
私はバイトを無理を言って休ませてもらっているので、木曜日から土曜日までは休めない。(水曜日は小学校の参観)
ここまでの手配が済んだ時点で、母の荷物を実家に持って帰ってから、いつも車で行くスーパーにそのまま行く。
買うものを買ったら、さっさと帰る。


1月19日

今日は病院に行かなくていい日だ、やれやれ・・・

とは言え、何もない日ではない。
小学校の参観の日。
しかし、少し楽しみ。
今日の授業はパソコンの授業の日なんだそうだ。
私の小学校の頃なんてそんな授業がなかったけどなぁ、時代だねぇ。

入って行った時にやっていたことは、2人1組でタイピング練習。
見るとローマ字入力でやっている。
今、国語でローマ字をやっていることもあるのだろうけど、世の中ローマ字入力の多いこと。
家の子供たちも、タイピングソフト(特打シリーズ「名探偵コナン」)で練習しているためか、ローマ字入力だわ。
私と旦那はかな入力。
私はもともとワープロのインストラクターから入ったので、かな入力で覚えたのだ。
旦那は私がワープロ検定の2級を持っていたため、自分も3級を取りたいと言い出し、何もやったことのない真っ白の状態だったので、かな入力にしたのだった。

タイピング練習のあと、交代でア行からマ行までを入力して行く。
ローマ字で入力して行くため、ローマ字を覚えていないといけない。
ローマ字表片手にやっている子供もいる。
そうやって練習したあと、1分間に何文字入力できるかと言うことをする。
次男はなんとか65文字。
一番最高で75文字だった。

そして、キーボード入力でしりとりをして行く。
これがなかなか続くものだ。
結構難しいのだけど、2人とも受けて立つ。
”ぱ”で終わったらどう返すかと思ったら、”ぱらしゅーと”と返して来た。
つい先ほど”らじお”と言うのが入力されていたのに、再び”ら”が来ると今度は”らじおきょく”( ̄~ ̄;)
隣でやっている二人の画面を見たら、”か”と言う字に対して”か”で返してる。
「これってあり?」と言ったら、「ありなの」と返事が返って来た。
先生と1人だけになった子供とでやっているしりとりの画面も横にあるのだけど、その画面を見ると”が”と言う字に対して”が”で返されていた。(あらま)

しりとりの次はリレー物語。
1行ずつ交代で入力して話を作ると言うもの。
次男の組の話では、人の名前がことごとく空欄になっている。
そのためどちらのセリフなんだかわかりづらい。
他の組では「ある日(この言葉ではじめる決まりだった)、おじいさんがしにました。」で始まれば、「そして、おばあさんもしにました。」と返されていて、読んだ人みんな(先生も含めて)「話が終わってんじゃん」・・・
子供たちってなかなか突拍子もないことをするものですねぇ。

夜には母から「無事退院してきました」との電話があったわ、よかったよかった。


1月20日

この日は何もなしで、私はバイト。

母も家でゆっくり寝ていたらしい。
父の病院には今日は誰も行かない。
さて、容態はどうなっていることやら・・・


1月21日

この日私はバイト終了後、父の病院に着替えを取りに行くと、なんと父が今着ているパジャマをのぞいて、全て洗濯物になっていた。
もう驚くしかないですよ。
なんとご丁寧に毎日ほど着替えさせてもらっているようだ。

そして、父から「桃のジュースが飲みたい」と言う要求が出て来た。
しかし、人工呼吸器を装着しているので、飲ませてもいいものだろうかと悩んで看護師さんに相談。
主治医に聞いてみるとのこと。
テレビカードも買って来てほしいと言うので、下の売店に行くことに。
その帰りに主治医とばったり会ったので、ジュースの件を聞くことに。
そうしたら、父の今の状態を説明してくれた。

「かなりよくなって来てますよ。呼吸器を着けた当初は血圧があがらなくて打っていた心臓の薬の点滴を今日からやめて見ているんです。今のところ正常値を保てているので、かなり改善して来ている証拠ですね。そして、呼吸器も自呼吸の補助的な力になってきていますので、もしかしたら外せるかもしれないですよ。あ、ジュースの件ですが、来週週明けから徐々に水を飲むところから練習するので、しばらく待ってくださいね」とのことでした。

病室に戻るためのエレベーターに乗りながら、誰にもわからないように小さくガッツポーズを思わずしてしまったわ。
病室に戻ってから、主治医の先生からの”ジュースはもうしばらく待ってください”と言う言葉を伝えると父は残念そうな顔をしたわ。(当然だね)
あとで思うと呼吸器をつける前にも「桃のジュースを飲みたい」と言っていたことを思い出したよ。
あれからずっと飲みたいと思っていたんだね。
母に詳しく聞くと「あれはね、不○家のピーチネクターが飲みたいって言ってるのよ」と言うことだった。
しかし、母はずっと探しているが、見つからない。(母曰く「あれは夏のものらしい」)
私も探して見ようっと。

主治医の話を母にすると、「え、そこまで回復しているの?」とびっくりしていた。
そりゃそうだね、母も数日とは言え入院していてかれこれ1週間近く父のもとに行っていない。
私や姉から聞く話のみの情報だものね。
テレビが見たい、ジュースが飲みたいって要求が出たことが私でもびっくりだもの。


1月22日

今日もバイト終了後に父の病院に洗濯した着替えを持って行く。
今日は旦那が私のバイトの終了時間までに家に帰ると言っていたので、車で送ってもらうことに。

旦那も久々に父に会う。
回復ぶりにはびっくりしていたけど、やはり父の言いたいことがうまくこちらに伝わらない。
そのうち父は私たちに足を左にずらせてくれと頼んで来る。
その直前には、ベットの頭の方をほとんど90度に近いぐらいに上げてくれと頼んでいたし・・・
いったい何をしようと言うのだろうかと思ったら、なんと座りたいと言うものだった。
当然、それは無理と言うもの。
そのうち人工呼吸器の管が外れ、ピーピーとエラー音が鳴り響く。
すると当然看護師さんたちが慌てて駆け込んで来る。
「これ、○○さん(父のこと)そんな無茶したらダメじゃない。ほら、呼吸器が外れて苦しいでしょう。おとなしく寝てましょうね(^^ #)」と顔では笑ってるけど、介護する手が怒ってる。
父は苦笑いしているし・・・まったくもぉ。

母に帰ってから、その話をしたら、「おそらく自分は人工呼吸器を着けていると思っていないのよ。で、気分もマシになったから、ちょっと動こうとしたのだろうね。まったく無茶をする人なんだから。」と言う。
父のわがままにつきあわされた旦那もかわいそうかも。
父のわがままにつきあったために私たちは看護師さんたちから叱られたようなものだもの。

家に帰ったら、子供たちを連れて再度出かける。
夕食を食べに行ったのだが、それは道頓堀にある食べ放題の回転寿司屋。
食べ終わって車に戻ると・・・駐車違反切符が窓に貼られてた・・・(T-T)
そりゃ、違反のところに止めていた自分達が悪いんだけどさ。
泣き面に蜂とはこのことか・・・


1月23日

この日はバイトも休み。
旦那も休みなので、母を連れて父の元へ。

母にとって久々の父の姿、実に1週間ぶり。
久々に見た母の姿を見るなり、父の顔が穏やかになる。
父には母の入院は一切話をしていなかったので(検査に行ってるとだけしか言っていなかった)、入院していたと言う母の言葉にびっくりしていた。
「どこの病院に?」とか「かかりつけには行ったのか?」などなど・・・
矢継ぎ早に筆談で聞いて来ていた。

私と旦那は、2人きりにしてあげた方がいいかと思って、病院の喫茶室へと席を外した。
私たちはずっと喫茶室で他のいろいろな話をしていたのだが、あとで母に聞くとその間にも無茶なことばかりを父はしていたらしく、母は「もう無茶ばかりしちゃダメと叱って来た」と話をしていた。(ベットをほとんど90度ほど上げて座った状態にしたのだそうだ)
結局、母でも父の言葉が半分理解できて半分理解できなかったと言う。

しばらくして看護師さんが「もうしばらくしたらガーゼ交換をしますので、その時は席を外してくださいね」と言って来たので、これはいい機会と母を連れて帰ることに。(ちなみに母から「交換を待ってそのあともいてるとなかなか帰られなくなるからもう帰ろう」と言い出した)

実家に母を送り届けたあと、自分達は買い物に行った後に家に帰った。


1月24日

この日から4連続バイトだ。
最後には9時から5時までと言う長いシフトが待っている。
ガンバだ>自分

当然だが、しばらく父のところに行ける様子ではない。
自分自身の右ひじの筋違えも早く治さなきゃいけないので、接骨院にもせっせと行かなきゃいけない。
ああ、しかし今日は給料日前。
困ったもんだ、毎度毎度お金がない〜〜と叫んでる私がいた・・・


1月25日

今日はなんと歯医者をもう少しで忘れるところだった。
バイトのことも考えて朝一の9時から予約を入れていたのだが、すっかり忘れてて、10時まで二度寝しようと目覚ましをかけようとふと時計を見ると8時45分。
なんか忘れてるぞと考えたらすぐに歯医者を思い出した。
大急ぎで着替えて歯医者に滑り込みセーフ、やれやれ・・・


1月26日

バイトが終わってみると、父の病院の看護師さんから留守番電話が携帯に入ってた。
「○○さん(父)が娘さんと会いたがってますので、またいらしてくださいね」と言うものだった。
今日は確か母が行っていたはず・・・
しかし、母の携帯にかけても病院にいる間は電源を切っているので、かからない。
で、病院にかけてみたら、「ご本人、とても寂しいらしくて連絡を取ってくれと言うので、取らしてもらいました。」とのこと。
前日、母から「最近、お姉ちゃんの方が顔を出さないので、『○○(姉)はどうしてるのか』と心配してる」と話があったので、おそらく父の言う娘とは姉のことだろう。
私はなんだかんだと洗濯物を取りに行ったりとこのところずっとしていたのだから。

母が帰った頃を見計らって電話すると、「私がいている間に『娘さんから電話が入ってましたよ』と聞いたので、てっきりお姉ちゃんだと思ったら、あんたのところにかかったのね」と言う。
姉も確か携帯番号を登録していたはずなのになぁ。

で、私から姉宛に病院から連絡が入ってて、どうもお姉ちゃんのことだとメールしたら、翌日か翌々日には顔を出して来ると返事が返って来た。
しかし、父も人の心配をしないで自分の身体を治すことを優先してほしいんだけどなぁ。


1月27日

さあ、今日は9時から5時までの長いシフト。
途中に1時間休憩あるとしても、その休憩を家に一旦帰るので、なかなか忙しい。
それも今日は開店準備も私の番なので、パンだしを急いでやっていると、じんわりと汗をかく。
その勢いで開店。
しばらくは足下のヒーターをつけないまま仕事したよ。

そして、バイト終了後、母から頼まれていた買い物をする。
すると父が飲みたがっていた”不二家のピーチネクター”が入荷していると社員の方から話があった。
いつ飲めるようになってもいいように6缶パック(小さい缶)を2パック購入。
母もせっせと探していたのだが、実家の近所のスーパーは閉店しちゃっていたので、見つけられなかったのだ。
しかし、重たい・・・翌日の休みに持って行くのだが、持って行けるかなぁ。


1月28日

ようやく久々に休みらしい休み。
このところずっと休み毎に父の見舞いや母の用事をやりに実家に行っていた。
確かに今日も母に頼まれた買い物を持って行くのだが、それが済めば父の病院に行くこともなく、自分の用事というか遊びに行ける日なのだ。
昼ご飯を母とともに食べ、しばらくおしゃべりしたあと、実家をあとにした。

本当はスパーワールドに行きたかったのだが、時間も時間なので、ビ○グカ○ラへ。
そんな中に母から電話。
「今、病院から電話があった。そうしたら洗濯物が溜まっているから、取りに来て欲しいって本人が言っていると言う。昨日お姉ちゃんが行った時には、洗濯物はなかったのにね」
おそらく、父は誰も見舞いに来ないのが寂しくて電話して来たのかもしれない。
これは私も母も同意見。
父は人付き合いは嫌いだが、寂しかりなのだ。
きっと寂しくて呼んだのだ。
なにせパジャマは5組買ってあるので、まだ2〜3日は行けるはずなのに来いと言うのは、寂しいから見舞いに来てほしいと暗に言っているのに違いない。

「出かけているところ悪いけど、帰りによってくれないかしら」

仕方がない、行って来ましたよ。
せっかく母と私とで1日おきに行けるように今日は抜こうねと話をして来ていたのにね。
まだ水を飲むことも、許可が出ていないと言うのに、すでに「スプーンを持って来て」なんだと・・・

行ってみると、「ひげそりはどこにある?」「前にかぶってた茶色の帽子は?」「引き出しに財布があるのを取ってほしい」と言って来る父。
財布は確かに入っているけど、何に使うと言うのだろうか。
オムツだとかの消耗品はその都度看護師さんから「買って来てほしい」と依頼があれば、すぐに買って来ているので、大丈夫なのに、別に入院中の父に財布は特にいらないのだけどなぁ。

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